8.1.1 通信制御プロトコル
1) ISDN利用H.320システムのためのプロトコルH.242
勧告ITU-T H.242[8-1]はISDN利用オーディオビジュアル通信システムH.320[8-2]のために作成された通信制御プロトコルで,能力交換,モード設定の手順は第3章図3-8に示した通りです.制御メッセージは第7.2.2項で述べたBASチャネル(実効速度は400 bit/s)を通じて行われます.通信の初めに受信側からその受信能力を送り,送信側が自らの送信能力と相手端末の受信能力を見比べ,また利用者の意向を考慮して適切な通信モードを起動します.このためのメッセージは,端末能力BAS符号が用いられ,音声符号化,映像符号化,転送レート,データ伝送,暗号化などの能力がネゴシエーションの対象となります.
能力交換により適切な通信モードが決まれば,その結果もBAS符号のうちのコマンドで受信側に伝えられ,第7.2.2項で述べたように,送受が同期して瞬時にモード切り替えが行われます.この手順は,二つの伝送方向で独立に並行して実施され,非対称の通信形態も可能です.
このH.242の手順は,非確認形の手順で,能力BAS,コマンドBASを受け取った後の確認は返しません.伝送誤りに対し十分保護されたチャネルを用いている(8ビットのBAS符号に対し8ビットの誤り訂正符号をつけている)ことと,処理の簡単化のためです.
H.242では,上記能力交換,モード切り替えの手順のほかに,
- 例えば2本のBチャネル(64 kbit/s)を同時に使って128 kbit/sチャネルとするなど,複数チャネル利用の手順
- 通信中に何らかの理由で呼接続直後の状態に戻すモード初期化手順
- 北米では64 kbit/sの代わりに56 kbit/sのチャネルを提供するなど制約のあるネットワークがあり,そこに収容された端末と通信するための手順
- 双方の端末が共通の自社独自モードを持っていれば,その起動を可能とする非標準モードのための手順
2) IP網利用H.323システムのためのプロトコルH.245
勧告ITU-T H.245[8-3]はパケット多重を用いるオーディオビジュアル通信のために作成された通信制御プロトコルで,IP網利用システムH.323[8-4]のほか,電話網やモバイル網利用のシステムH.324[8-5],ATM網利用システムH.310[8-6]や音声・データ同時伝送のシステムV.70[8-7]で共通に使えるよう設計されました.能力やコマンドを送る度に確認信号(ACK, NACK)を得て次のメッセージを送る確認形の手順を構成しています.処理が複雑ではありますが,双方の端末の状態遷移が明確になり確実な通信が実行できる特徴があります.
このH.245制御プロトコルは,先行するH.242がH.221と密接に関連していることや機能間の分離が必ずしも十分ではないことから,新たな設計思想のもとに作られました[8-8].まず,制御メッセージを運ぶチャネルは誤りが全くないことを前提にし,このためメッセージや手順の設計に伝送誤りを考慮する必要がなくなりました.例えばH.323システムではエラーフリーのデータ転送を行うTCPによりH.245メッセージを運びます.ただし,TCPはバイトストリームを運ぶプロトコルなのでH.245メッセージの切れ目を識別するためTPKT(TPDU [Transport Protocol Data Unit] Packet)[8-9]と呼ばれる4バイトのヘッダを付加します.このうち2バイトがH.245メッセージ長を表します.
次に,H.245では,メッセージの形式をASN.1(Abstract Syntax Notation 1)[8-10]で表したシンタックス,その意味を規定するセマンティックス,メッセージの交換順序を定めた手順,に明確に分けて記述されています.さらに手順はH.245 Annex Cに記述されていますように,SDL(Specification and Description Language)図[8-11]で表現されます.なお,ASN.1シンタックスと符号化の概説がH.245 Appendix I[8-3]に記されています.
シンタックスは,将来の新たなシステムの登場,既存システムの機能追加要求に備え,ASN.1の拡張子およびバージョン番号表示により,拡張可能な構造になっています.
H.245が提供する機能を図8-1に示します.これらの機能は
- 制御の優先権を与えるマスター・スレーブの決定
- 端末が持っている能力の交換
- 片方向あるいは双方向の論理チャネル設定,解放
- 受信側から送信側に希望するモードを伝えるモード要求
- 通信状態確認などのための一巡遅延測定
- 保守用のループ設定
- 各種制御・表示信号
H.245は独立した9個の通信制御機能を提供します.プロトコルの特徴は次の通りです.
- 異なるオーディオビジュアル通信システムで共通に利用する
- 制御チャネルは双方向を前提に制御メッセージを送るたびにACK/NACKで確認する
- シンタックス,セマンティックス,処理方法を分けて規定する
- 制御情報の伝送チャネルは誤りのない系を想定する
- 通信制御項目ごとにモジュール化する
H.245の手順規定の一例として論理チャネル設定/開放を取り上げます.論理チャネルとは一つのメディア信号を送るための仮想的なチャネルで,H.323システムの場合,物理的には同じペイロードタイプ(PT, Payload Type)値を持つRTPパケット列で,下位レイアはUDP/IPです.例えばG.711μ則音声を送る場合,PT=0を有するRTPパケットが論理チャネルを構成します.論理チャネル設定(ESTABLISH)のメッセージには,このチャネルで送られる情報内容(能力表示メッセージで使われるのと同じ)の記述が含まれます.このための手順はLCSE(Logical Channel Sigaling Entity)と呼ばれる処理機能が司り,片方向の論理チャネル設定には送り出す側と受け入れる側それぞれにLCSEがあります.LCSE間でやりとりされるメッセージ,LCSEとシステム(上位レイヤ)の間でやりとりされるプリミティブ(primitive,機能動作の集合体)を,図8-2 a)に示します.両者には,論理チャネル設定に関わるもの(ESTABLISH)と論理チャネル解放に関わるもの(RELEASE)があり,プリミティブにはこのほかに誤り状態に関するもの(ERROR)もあります.論理チャネルが誤りなく設定される場合のプリミティブとメッセージの流れを図8-2 b)に示します.受け入れ側LCSEの上位レイヤが論理チャネル設定を承知し,送り出し側の上位レイヤにESTABLISH.confirmが送られて初めて,指定のメディア信号をその論理チャネルに流すことができます.
論理チャネルの設定/開放処理を実行するのはLCSE (Logical Channel Signaling Entity)です.a)はLCSE・システム間,LCSE間でやり取りされるメッセージとプリミティブを示しています.LCSE間に流れるのがH.245メッセージです.H.245にとってユーザとなるのはH.323などのシステムで,LCSEとの間で設定/開放の要求,処理結果が受け渡されます.b)は論理チャネル設定が成功した場合の処理の流れと両側LCSEの状態遷移を示しています.設定要求から一定時間(T103)の間に設定通知が届かなければ,やり直しあるいは中止となります.
3) IP網利用SIPシステムのための通信制御プロトコル
SIP(Session Initiation Protocol)[8-12][8-13]は,インターネット上の電話,テレビ会議などに用いる呼制御プロトコルを定めています.この呼制御プロトコルに基づくテレビ会議システムをここでは「SIPシステム」と呼びますが,H.323のようなシステムの全体像を記述した国際標準はありませんので,便宜上の名前です.SIPというプロトコルはテレビ会議システムの視点からは,システム構成要素の一つです.SIPは文字通りはセッション開始プロトコルの意味で,セッションとは一つの通信の始まりから終わりまでを意味します.
セッションには,呼接続の後,オーディオビジュアル通信の前にエンド・エンド間で能力交換をして最適通信モードを決定するフェーズがあります.SIPシステムでは,呼接続のメッセージ中にSDP (Session Description Protocol)[8-14]メッセージを埋め込むことで,エンド・エンド間通信制御の機能を持たせています.