コラム10-1 国際標準化活動は三重苦?
筆者は四半世紀以上にわたり,国際標準化活動に携わってきました.研究者として技術提案の寄書を出すこともしましたが,大半は専門家グループのリーダあるいは議長として,プロジェクトを推進する,技術討論をとりしきり結果をまとめる,グループ運営上の問題が生じれば上部機関と相談しながら解決する,などマネジメント的仕事に携わってきました.
国際標準化の仕事では,うまく行けばワールドワイドに世の中の役に立つという達成感が得られますし,世界各国の優れた人々と知り合いになれる,という貴重な機会もあります.また,標準化の会合は世界各地で開かれますので,少しずつでも異国の風物に触れることができます.
しかし,楽あれば苦ありで,結構しんどい側面もあります.ここでは,筆者が苦に感じた点とそれにどのように向きあったかを記します.
1) 高度な技術との闘い
この章本文で強調しましたように,最新の技術を入れ優れた特性が得られなければ,標準はできても使われない,市場で負けてしまう結果に終わります.従って技術討論は最新の技術について行われることになります.グループのリーダとしては,技術の細部はともかく,筋の良し悪しや標準全体への貢献度に対する見通しが必要です.
幸い,標準化は指定された期日(例えば会合開始の1週間前)までに寄書に書いて提案する,という文書主義ですので,出された寄書を読むことで,最低限必要な理解を得ることができます.寄書は締め切り間際に一斉に提出されるのが常ですので,限られた時間の中で新しい技術を理解して会合に備える努力をしなければなりません.
2) 時差との闘い
ITU-Tでは,SG (Study Group)レベルの会合は基本的にジュネーブ(スイス国)の本部で開かれます.専門家グループのレベルでは自主運営となっていて,作業に参加する企業などが順番に主催しますし,主催を引き受ける参加者がいなければジュネーブ本部で開催することになります.いずれにしても日本が自ら主催しない限り,どこか外国にでかけることになり,時差との闘いが待っています.
経験的には,人間の身体,特に消化のリズムは相当に頑固で,一週間ほどは二つの時計が同時に動いているような不快な気分になります.また,そのような状態では悲観的になりやすい,という傾向もあるようです.西の方向に移動する時差の方が東の方向のそれより楽と言いますし,確かにそのように感じますが,要は外国で活動する時間帯が,日本にいるとき起きている時間なのか寝ている時間なのかが問題です.
時差は何度も経験すれば慣れるのでは,と聞かれることがあります.それはない,ただ我慢するしかない,というのが筆者の答えです.回を重ねると,いつどのような状態になるかを憶えてきますので,戸惑うことはなくなる,とは言えます.
3) 英語との闘い
現代世界の作業言語は英語ですので,国際標準化の場面でも英語で文書を作り,英語で説明して,英語で討論が行われます.日本人にとっては外国語である英語で仕事をしなければなりません.
我々は日常生活で英語を使うことは稀ですから(最近は英語で毎日のビジネスを行う日本の会社も現れましたが),意識しながら練習して行くほかありません.言語能力は読む,書く,話す,聞くの要素から成り立っています.いずれも国際標準化の活動に必要とされますが,一番大切なのは,書いて表現することでしょう.多様な国の専門家が情報や意見を共有するには,寄書を書いて提出することで行うことは本文で述べた通りです.特にリーダあるいは議長として心がけるべきは,議論を積み上げて結論に至ることで,そのためには蒸し返しが起きて時間の損失にならないように議論の結果を記録し確認しておかなければなりません.
外国語を習得するには,子供の場合は環境に身をおけばよい,成人の場合は頭で考え練習するしかない,と思います.論理は万国共通ですので,日頃から筋道立てて考える習慣をつける,書かれたものが論理的であるか,表現が文法に従っているか,コンピュータ言語で書かれたプログラムを点検する時と同じように吟味することが練習の手段です.