VTVジャパン テレビ会議教科書

テレビ会議教科書 VTVジャパン株式会社

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2.3.4 1 MHz/4 MHz帯域アナログテレビ電話の試用,商用

1) テレビ電話登場の背景

 電話は1876年の発明以来,人々の生活に欠かせない通信手段となり,各国の電話会社は優良企業に成長していきました.しかし,電話がすべての家庭や企業に行き渡れば,電話会社の成長は鈍る,あるいは止まる訳で,1960年代には電話需要の充足が視野に入ってきました.なお,日本では,実際に申し込めば直ぐつく電話(積滞解消),全国どこでもダイヤルしてつながる電話(ダイヤル即時)の二大目標が実現したのは,それぞれ1978年,1979年になってです[2-21].
 そこで,電話会社は電話よりネットワーク資源をより多く必要とする広帯域の新サービスを提供しようと着目したのがテレビ電話でした[2-22].動画像は電話に比べ数百倍のアナログ帯域を必要とし,相手の姿を見ながら通話するテレビ電話は第2.1節で述べましたように,未来の電話,夢の電話と目されていたからです.
 テレビ電話は,文字通り電話にテレビ映像を付加して機能強化したサービスで,肩上像表示による対面通話を主とし,簡単な書画や計算機出力の表示を従とするものでした.
 一方,実現する技術の点でも,この時期には1947年にトランジスタが発明されて以来,回路の電子化が進められ,撮像,表示のデバイスも実用になってきました.

2) AT&TのPicturephone開発,商用サービス

 電話先進国である米国のAT&Tは1950年代後半にテレビ電話の研究開発を開始し,1964年のNew York World's Fairで展示を行いました.このシステムは0.5 MHz帯域のアナログ伝送技術を用いたもので,その後帯域を1 MHzに広げ試験を重ねて[2-18],Picturephoneの商品名のもと1970年にはピッツバーグで商用サービスを開始するに至ります.このシステムは走査線数267本,水平走査周波数8 kHz,フィールド周波数59.925 Hz,2:1インタレース,アスペクト比11:10(少し横長画面)というテレビ電話固有の映像フォーマットを用いています[2-23].
 設計思想としては,テレビ電話は電話と同じように広く普及することが想定されていました.従って,テレビジョン放送のパラメータではなく,独自のパラメータが採用されました.テレビ電話機が電話機のように大量に生産されれば,産業的にそれが成り立つことになります.AT&T Bell Telephone Laboratories機関誌Bell Laboratories RecordのPicturephone特集号冒頭記事で著者のJulius P. Molnar氏は「50年前,距離を隔てたコミュニケーションは,手紙,電信によるか,交通機関に乗って面談することで行っていたが,次第に電話がコミュニケーションの主役になったように,Picturephoneは世紀末(筆者注:20世紀末のこと)までには今日の通信手段を置き換え出張や旅行の多くを不要にする」と予測していて[2-24],新サービスへの熱い期待が窺えます.

3) NTTのテレビ電話開発,試験,商用化

 これに触発され,世界各国でテレビ電話の開発,試行実験が行われました.我が国では,NTT(当時は日本電信電話公社)やNECなどで1965年頃からテレビ電話が研究されました.NTTでは小規模な研究所内のシステムを試験した後,1970年3月〜9月に開催された大阪万国博覧会会場に1 MHz帯域テレビ電話機(走査線数275本,水平走査周波数8.25 kHz)66台を設置し,迷子案内,通訳,障害者支援などの会場内サービスに活用されました[2-25].その様子を図2-8に示します.

図2-8 大阪万博の1MHz帯域テレビ電話システム
図2-8 大阪万博の1MHz帯域テレビ電話システム

1970年に大阪で開催された万国博覧会では,会場内の迷子センタ,通訳センタ,案内所などに66台のテレビ電話機が設置され,博覧会の運営に貢献しました.例えば迷子案内ではテレビ電話で親御さんを確認のうえ迷子を引き渡しました.

 これと並行し,1969年〜1971年の間,放送テレビの映像フォーマット(走査線数525本)による4 MHz帯域システムも加え,数次の社内試験を経て1974年には東京・大阪間で一般企業ユーザを対象として長距離中継交換システムのモニターテスト(試用試験)が行われました[2-26].このシステムは,電話交換網に映像回線交換網を従属させ,加入者回線にはベースバンド伝送を,中継回線には同軸VSB (Vestigial SideBand)およびマイクロ波伝送を用いるアナログ伝送・交換技術で構成されていました.なお,4 MHz帯域システムが登場した背景には,社内試験利用者の反応が芳しくないうえ,AT&T商用サービスの不調が伝えられ,テレビ電話独自パラメータの機器より大量生産されているテレビジョン機器を用いた方が経済的,との考えによります.
 これら試験を通じ,技術的確認,システム構築・運用の経験が得られたものの「社会経済情勢の変化,諸外国の動向,モニターテストの結果などを総合的に勘案すると,コストと効用とのバランス上,いまだ本格的な導入を図る段階にはない」と判断され,当初1972年に計画していた商用サービスの開始は繰り延べられました[2-27].
 この間,1972年に自民党本部からテレビ電話設置の話しが持ち込まれ,その年の12月1日,幹事長,総務会長,政調会長の三役と首相官邸の官房長官を結んでサービスが開始されました[2-27][2-28].これは不特定多数の利用者を対象とする公衆電気通信サービスではなく,特定のグループに適用されることから「テレビ電話(グループ・タイプ)」と呼ばれ,1年の期間を限って有料サービスが提供されました.その後,期間は延長され,1979年11月30日まで続けられました.このシステムは短距離のシステムであったため4 MHz帯域が用いられました.この時期,テレビ電話で唯一の有料サービスです.

4) 諸国の動き

 1970年前後,先行する米国AT&Tに追随して,日本以外にもイギリス,オランダ,フランス,ドイツ,スウェーデンなどでテレビ電話の研究開発が行われました[2-29].各国システムのパラメータを図2-9に示します.この当時の映像はモノクロでした.1 MHz帯域のテレビ電話では走査線数が万博機では275本,この表では267本になっているのは,水平走査周波数を電話帯域4 kHzの2倍8 kHzに選んだためです.これにより,テレビ電話信号を電話信号と多重して伝送する際,相互の干渉を軽減する効果があります.

図2-9 各国のテレビ電話方式
図2-9 各国のテレビ電話方式

1970年前後に実施された商用あるいは試験システムの方式パラメータを表します.大きくはテレビ電話独自のパラメータを有する1 MHz帯域システムと放送標準に従う4 MHz帯域システムに別れています.

 これらの国においても,テレビ電話が電話に置き換わる大規模な公衆通信サービスへ発展することはありませんでした.

5) CCITT標準化の動き

 テレビ電話の国際標準化は,CCITT(International Telegraph and Telephone Consultative Committee,1993年以降はITU-T, International Telecommunication Union Standardization Sectorと改称)のSGXVで研究されました.CCITTでは4年の研究会期を定め,その都度,標準化対象や組織の見直しを行います.テレビ電話に関する研究項目は1965-1968研究会期の最後に新たな課題(Question)として設定され,1969ー1972研究会期に作業が開始されました.背景には,米国AT&TによるPicturephone開発を始めとし,各国のテレビ電話研究開発の盛り上がりがありました.
 CCITTでの研究開始当時は,テレビ電話は電話を機能強化したサービスと位置付けられ,肩上像表示による対面通話を主要な機能としています.標準化の対象は,伝送すべき映像信号のアナログ信号帯域幅がサービスコストの支配要因であること,肩上像表示に必要な走査線数は250本程度であること,から1 MHz帯域のテレビ電話でした.したがって,4〜5MHz帯域の放送テレビジョンとは別にテレビ電話独自で最適になるような規格が追求されたのです.1969-1972研究会期末には,フィールド周波数とそれに連動した走査線数を残し,帯域幅,水平走査周波数,アスペクト比(画面の幅対高さの比)など基本的な映像パラメータが合意されました.
 この間,米国におけるテレビ電話Picturephoneの商用結果は予期に反したものであることが判明し,新たな模索の時代を迎えることとなりました.1973ー1976研究会期における見直しの一つは,テレビ電話は対面通話だけでは効用が不十分で,既存の放送テレビジョン機器を活用した多様な応用を可能とすべきとする考えが取り入れられました.一方で市場性のある映像通信の応用が探し求められ,他方で端末機器は放送テレビジョンの規格に従い,経済性の点から長距離伝送には1 MHz帯域を用いるシステムが志向されていました.すなわち短距離通信は4 MHz帯域で,長距離通信は1 MHz帯域で行おうとするアイデアです.
 映像通信の新たな応用を見出す努力の結果,テレビ会議がビジネスの道具として有効であることが各国で実証されました.この過程で,1977-1980研究会期には初めてのテレビ電話勧告H.61[2-30](後にH.100[2-31]に吸収されます)が作られました.これには,テレビ電話はテレビ会議も含む広義の双方向リアルタイム映像通信であること,映像フォーマットはその地域の放送テレビジョンに従うこと,上述の長距離1MHz伝送に備えたパラメータも定義すること,テレビ会議に効果的な会議出席者像の作り方(第2.3.5項で後述のスプリット・スクリーン方式)などが定められています.伝送技術の面では,この時期がアナログ伝送から帯域圧縮符号化を用いたディジタル伝送への転換期です.以後,低ビットレートディジタル伝送のシステムとそれに必要な映像符号化が標準化の主対象となります.

6) 失敗に終わったテレビ電話

 米国における商用サービス,我が国における試用試験の結果,テレビ電話は夢の電話,将来の電話を実現するとの予期に反し,利用者から受け入れられるには至りませんでした.コスト,システムの安定性など技術的問題のほか,人間要因面の問題も指摘されましたが,原因は必ずしも十分解明されたわけではありません.
 確かな事実は,テレビ電話を使った人が繰り返し使おうとはしなかったことです.1960年代から1970年代前半にかけての壮大な試みは,画像通信の技術的な蓄積に役立ったものの,新たなサービスを創出する点では失敗に終わったと言わざるを得ません.
第5.5節でテレビ電話のどこに問題があるのか,筆者の考察を述べます.