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1) 相容れない存在

 標準は多くの製品に実装され使われて初めてその役目を果たします.そのためには標準は優れた特性を発揮するよう,最新,最良の技術を用いたものでなければなりません.しかし最新の技術は特許などの知的所有権で保護されているのが普通です.標準はみんなの為のもの,特許は発明者を保護するためのものですから,両者が本質的に相容れない存在であることは明らかです.標準と特許に関わる多様な側面をまとめて図10-17に示します.

 

図10-17 標準と知的所有権の関係

標準は新技術を必要とする,新技術は特許で守られている,標準はみんなの為にある,特許は発明者一人のためにある,というのが標準と特許の相容れない関係です.

 

 もし標準に従う製品の特性が不十分だと,どういうことが起きるでしょうか.例えば映像符号化の例で説明しますと,与えられた映像を符号化するのに標準に従うと10 Mbit/sが必要だとし,もしある会社の独自製品では8 Mbit/sで同じ品質が実現できるとすると,標準を使う人はいなくなってしまいます.勿論,標準であることには世の中に認められている,という有利さはありますが,上記のように20%の明らかな特性差があれば,市場では負けてしまうでしょう.
 従って標準には,その成立時点で最強の技術を用いることが求められ,新技術の導入が不可欠です.新しい技術には,大概の場合,発明者(あるいは発明者が所属する企業,団体)の権利を保護する特許,著作権など知的所有権が付随しています.
 さらに,標準化はグループの協力による開発活動です.産業的に関心の高い標準化活動には大勢の参加がありますので,提案の数も増え,可能性の高い技術を集める点では好ましいのですが,関わる特許も増えてくることになります.標準を使う際には,特許使用に関する権利処理が必要になりますので,特許権者が増えればそれだけ面倒なことになります.
 具合悪いことに,標準を作る標準化機関は,それに関連する権利の処理には距離を置き,法的に関与する立場にはない,との姿勢です.

2) 標準に特許技術を採用する条件

 標準と特許の関係は,八方塞がりのような状況です.しかし,現実解を探る試みが続けられています.
 ここでは,特許に保護された新技術を標準に採用する為に,標準化機関が何を実施しているかを述べます[10-1].
 まず,作業段階で参加者には標準に関わるであろう特許を保有しているか,第三者が保有していることを知っていないか,を随時尋ね情報を集めます.情報を参加者間で共有することにより,より現実的な標準を得るためです.また,標準草案の内容が具体的になり,その中に自社の特許技術が含まれていれば,参加者には標準となった場合に実施許諾をするか否かの意思表示が求められます.これは様式の定まった声明文の形で標準化機関に提出します.大筋では,無償で許諾する,有償で許諾する,許諾しない,の三択です.
 許諾しない,が表明された場合,標準にその技術を採り入れることはできません.ITU-Tでは,1985年,光増幅器を含む伝送システムのインタフェース標準G.691 [10-13]でそのような例があり,4年後に有償許諾への翻意が表明されたものの,標準化が大幅に遅れる結果となりました[10-14].
 標準に,準拠するためには避けて通れない必須特許(essential patent)技術が含まれる場合,その使用は無差別に許諾されなければなりません.特許権者が特定の企業には使用を許諾しない,市場から排除する,などという事態は,標準にはあってはならないことだからです.特許使用料については,無償の場合だけでなく有償であることも認めています.ただし有償の場合はその額が"reasonable"であることが条件です.
 古き良き時代の標準には,例えばG3ファクシミリ標準ITU-T T.4や7 kHz帯域音声を64 kbit/sで符号化するITU-T G.722[10-15]のように,無償実施許諾の例がありましたし,IETFのようにそもそも特許技術を使わない標準を志向する標準化団体もあります.しかし,現代では,特許技術なしの標準は考え難くなっています.
 上記reasonableな許諾料で無差別に(non-discriminatory)実施許諾する,すなわち図10-18に示すRAND (Reasonable And Non-Discriminatory terms)条件で特許技術を採用することが,今では現実的な解として広く行われています.

 

図10-18 特許のある技術を標準に採用する条件RAND

標準に特許のある技術を入れて構わないが,特許使用料が法外なものではないこと(Reasonable),そして誰にでも無差別に使用を許諾すること(And Non-Discriminatory)が条件です.

 

 背景には,新しい技術を生み出すには,それなりの開発投資を必要とし,特許使用料の形で回収してしかるべき,との考えがあります.
 それではreasonableな許諾料とはいくらなのでしょうか.法外ではない,という点で社会的合意は得られているのでしょうが,個々のケースでいくらならreasonableであるか試行錯誤が行われている段階です.

3) パテント・プール

 標準が成立し,それには100社の特許が絡んでいるとしましょう.標準化機関は,実施許諾には関与しないので,基本的に標準を実装する会社が権利を有する100社と交渉することになります.交渉自体が面倒なことになるうえ,例え1社あたり1%の許諾料としても,100社集まれば製品価格を2倍に押し上げることになります.これは極端な例かも知れませんが,問題の性格を表しています.
 そこで,デジタル放送に使われているMPEG-2標準が成立する頃から,当事者(特許権者と標準を使用する放送会社や受信機のメーカ)が図10-19に示すパテント・プールを検討し,1965年にMPEG LA (MPEG Licensing Administrator)が設立されました.ここでは,必須特許の認定を行い,特許使用料の総額を定めて,標準の利用者が一括して使用量を払うことができます.また,集められた使用料を,特許権者に配分することもパテント・プールの業務です.

 

図10-19 標準に関わる特許の使用料を処理するパテント・プール

多数の新技術を包含する標準を実装する際,パテント・プール団体でのワンストップ・ショッピングで特許使用料を処理できる仕組みです.標準と特許の関係を実際的に解決する方法として,MPEG-2以降の標準で活用されています.

 

 特許権者の全てがパテント・プールに加入する訳ではないので,そのような権利者とは個別の折衝をしなければなりませんが,パテント・プールが標準と特許の間に横たわる複雑な問題の処理を大幅に緩和したことは間違いありません.
 パテント・プールには,当事者間の談合と見なされかねない側面がありますが,米国法務省はMPEG LAに対し,1997年,その運営実態は独占禁止法の視点で当面問題はない,との判断を示しています.

4) その他の問題

 ここまで述べてきた言わば建設的な標準と特許の問題解決が努力されている一方で,やっかいな事例も生じています[10-1].標準準拠製品が普及した段階で,自社の特許が含まれているので製品の販売を差し止め請求する,といった深刻な事態や,会社の破綻に伴い保有特許が別の会社に売られ,その会社が標準が広く実装されていることに着目して訴訟をてこに特許使用料を請求する,などです.
 経験の積み重ねにより,安心して標準を作り使用できる環境が整うことを期待します.

 

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